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ちゃーこのログで、ちゃんろぐー

人に話をする時は、どう捉えられても良いと覚悟を決めること

最近、自分がしてきたことについてじっくり話をする機会があって。

自分では、悔いなくしゃべれたなぁ!と思っていたのに、
それについてまとめてもらったら、全然伝わっていなくてびっくりしたのです。

いや、確かに論旨は合っている気がするけれど、大事なニュアンスがまったく伝わっていないというか。
大事だと思っているポイントがずれているせいで話が全然かみ合ってなかったというか。 

 「おーい!話聞いてる時何考えてたの?」

と聞きたくなる感じで。(仕事の人だから聞けないけど)

わたしはその間、自分が聞かれたことにちゃんと答えて伝えようと努力していたつもりだったので、
そういう結果が見えてきたことに、今、思っている以上にショックを受けています。

  

話をする、ということは、ただ話をすれば良いだけじゃなくて、
話を聞いてもらうためにこっちを向いてもらう努力もしなくちゃいけないという面もある。
たとえ、ふたりで対面して話している時だったとしても!

ということを、 久しぶりに体験したみたいです。
(自分にとって社会が希薄になっているせいで、こういうの忘れてた) 

 

人っていい加減なもんですよね。(もちろんわたしも含めて)

文章だと目で見るので多少考えるけれど、声だと慣れてるからさらっと流すことも多いのかもしれない。

見た目もやっぱり気にしないと、先入観で決められちゃうこともあるんだろうな…。
「こっちを向いてもらう努力なんて!媚びみたい!」
なんて青臭く考えていた気がするけれど(というか意識もしてなかったけど)、
 ちゃんとお化粧してきっちりした格好していたら、もうちょっとかみ合ったのかもしれない…。
まあ、そもそも共通項が少ないので、パッと出会ってすぐに話がかみ合うこと自体、
双方に努力が必要だったんだと思うんだけどなぁ…。 

と、考えてみたところでどうしようもないしキリがないですが。

 

 

社会人1年目の時、
「打ち合わせをしていても、自分と全然違うことを考えてる場合もあるってもう少し意識した方が良いよ」

と、上司に指摘されたことを思い出しました。

もうあれから5年以上経ってるけど、全然変わってない、自分…。

 

そんなことをもやもやとめどなく考えてしまっています。
あああ、そのせいでいろいろ滞ってる…! 

 

でも、今回の経験があったおかげで、
たぶん、これは文章でも同じことなんだぞ、と思い直せました。

歌の歌詞みたいに短い文章でも(だからこそ?)、恋愛とか友情とかいろんな解釈をされるし、
小説みたいに長い文章でもこの人が好きとか嫌いとか全部わかった気になってしっかり判断してしまうし。

自分の文章として人に見られる状態にしている以上、
「これで嫌われてもいいや」くらいの覚悟が必要なんだろうな
とあらためて感じてしまった次第です。

嫌われるのは怖いけどね。何もないよりきっとまし。