知り合いと友人の境目
本当にとてもしょうもなーーーーい話なのですが。
昨日、わたしが住むマンションの誰かの井戸端会議(って言う?最近…)が聞こえてきました。
本当にじっくり聞いていたわけではなくて、ちらっと通りすがりで聞いてしまっただけだし、どなたが話していたのかすらよくわからなかったので、もちろん何を話していたのかもまったくわかりませんが、唯一はっきり聞こえたのが、
「いや、あの人はただの知り合いやねんけど…」
という言葉。
盗み聞いてしまっていてとやかく言うの自体がそもそもどうなのかとは思うものの、
人に対して使う「知り合いという言葉って、ひどい」とその時はじめて思ったのです。
もし自分が「あの人とは知り合いなんだけど」と言われたら、嫌だな。
何気なく話していてもこの言葉だけで、急に突き放された気分になりそうだ。
もしそんなことが起きたらもう、その人との間に高くて分厚くて壊せない壁を感じてしまうかもしれない。
なんの話だかよくわからないくせに、この言葉にとてもショックを受けてしまいました。
人ってたぶん、いろいろなことをカテゴライズして生きているとは思います。
人に対してもたぶんそうなんだとは思います。
ご近所さん、同僚、友達、ママ友…?人によってそれは様々だと思います。
でも、その中で「知り合い」って、全部のカテゴリに当てはまらない人、という風に聞こえて。
「自分の中に入ってきてほしくもない人」みたいにも聞こえてしまって。
それはすなわち、どうでも良い人?という風にも考えられる気がしました。
考え過ぎと言われればもちろんそれまでですが。
わたしはどうも、人をカテゴライズするということ自体が苦手で。
自分でもなんでこんなに苦手なんだろう、と思っていたんですが、それはたぶん、その人もしくは自分自身の人間性や面白さ、その人らしさをどこか置き去りにしてしまったような心細さや残酷さを感じるからなのかもしれないと、その後いろいろ考えてみてはじめて思いました。
そしてたぶん、わたしにとって「知り合い」という言葉はそのカテゴリの中にも入れてもらえなかった言葉なのだと思います。
いろいろ置き去りにされたあげく、カテゴライズもされないのかーーー!
というのがショックだったんです、たぶん。
逆にこれが「仕事の人」とか「ご近所さん」とかなら何とも思わなかったはず。
「知り合い」ってなんとなーく過ごしていると簡単に使える言葉だと思うのですが。
たぶんわたしなんかだと考えるのに時間はかかりそうですが、それでも、「その人」をフラットに、でも唯一の存在として見続けられるように努力しないといけないなぁと思った、という話でした。
本当にしょうもなーーい上に後ろ向きになってしまった…。
思いがけずもやもやとしてしまったので、書いて整理しておくことにしてしまいました。
いかん、脱後ろ向きしなくては。